初投稿は自己紹介から

その他

等ブログ管理人のNAOTOです。

今は大手自動車会社で働きつつ、こちらのブログを運営しています。最初の投稿となるこちらのページでは、簡単に自己紹介を行いたいと思います。自己紹介とは言っても恥ずかしいですが、自分のことをたまにはまとめてみるのもいいかなと!

簡単な経歴は、こんな感じです。

埼玉県春日部市出身。明治大学政治経済学部卒。高校時代は剣道に打ち込み、高3で関東大会に出場。大学入学後はAIESECに所属し、マニラ、トンド地区のNGOで2か月のボランティア活動に参加する。この経験から現地の格差問題や国際協力に関心を持ち始める。その後、2016年8月から翌年7月まで、中国の西南交通大学に1年間交換留学。翌年はトビタテ7期生として、UNIQUEASE Corporationで1年間学生スタッフを勤める。UNIQUEASEでは全体的な業務マネジメントを担当し、調理から接客、食材管理、経理、広報、新規メニュー企画、食育事業等に様々な活動に取り組む。帰国後はTesla Motors Japanで1年間の長期インターンを経験し、2019年の9月から半年間は、国連ユースボランティアに大学推薦として参加。ユネスコカイロオフィス(エジプト)で、アラブ地域の自然災害対策研究に携わる。2020年からは、大手自動車会社の商品企画本部に所属。電気自動車の商品企画を担当している。好きなことは、旅行や写真撮影、自動車、中華ドラマ等。

本記事では、自分の生い立ちからこのブログを書くに至るところまで書きたいと思います。長文ですが、気が向いたら読んでみてください。

生い立ち

小学校まで

私は、とても一般的な核家族の過程に生まれました。

幼いころに好きだったのは、自動車と昆虫です笑。父が自動車会社で働いていた関係で物心ついた時からすでに自動車が好きでした。夏には、よくカブトムシを取りにも連れて行ってくれて、昆虫が好きになりました。小学生の頃は、昆虫博士なんて呼ばれてて、学校での係はいつも決まって「いきものがかり」でした。つい先日、小学生の卒業アルバムの夢を見たら、「環境に良い車を作りたい」なんて記入してあって、なんだか全然やりたいこと変わってない自分に驚きました。

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平穏な小学生生活を送っていましたが、小学6年生の時に両親が離婚。振り返ってみれば、この時が多分人生で一番苦しかった瞬間かもしれません。情緒不安定で、学校で友達もできず、、、本が友達になりました。

この時、何気なく読み始めた歴史小説に夢中になり、自動車、昆虫に加え、新たに歴史が好きになりました。小学校の後半は、人生振り返っても唯一自分が纏って本を読んでいた時間だったと思います。

中学時代

時間が経てば、どんなに辛いことでも不思議と傷は癒えてきます。小学校後半は孤立していた私でしたが、中学校に入ってから徐々に友達が増え、先生をいつも困らせる問題児の1人になりました笑。部活は剣道部に入部しました。理由は歴史が好きだからです笑。単純すぎますね。中学1年時、クラスの中に初恋の女の子ができました。その子が大好きで、いつも遊びに誘ってましたが、結果的には仲良い友達で終わってしまいました。。。告白する勇気もなく、今でも少し後悔しています。

中学の前半は、学校の成績も全部普通すぎるぐらいに普通だったのですが、中学2年生になった頃、大きな転機が訪れます。生徒会に立候補しようと思ったことです。父の勧めでした。自分は、父の期待に応えたいと思ってしまうので、本気で考えてしまったのです。

周りに相談してみたところ、「お前みたいなバカが生徒会なんてできるか」と友達に言われました。さらに、自分より成績がいい親友に馬鹿にされました。「頭よくなりたい。」と思った私は、塾に行かせてほしいと親に頼み込みました。自分の家は裕福な訳ではないので、塾に行ったからにはちゃんと結果を出そうと、人生で始めて宿題をしっかりこなし、学校でも真面目に先生の話を聞くことにしました。

そしてなんと、驚いたことに元々学年で40番代だった自分の成績が一気に3位になりました笑!これには家族が一番びっくりしてました。

頭おかしかったので、ママチャリで仙台まで行きました。

この後の中学時代は、とても華やかでした。元々運動はそれなりにできたので、そこに勉学の成績が相まって、モテ期が到来しました。同じ剣道部で、学年で一つ下のかわいい女の子と初めて付き合うことになりました!

そんなこんなで、最終的に地元の名門校である春日部高校に合格もでき、個人的な黄金時代である中学生時代が幕を閉じました。

高校時代

高校時代は、個人的には黒歴史です。男子校で、女の子との出会いは皆無。さらに周りのレベルが高く、勉強も運動も平均になりました。勉強少し頑張れば成績優秀だった中学とはさよならです。

何よりも大変だったのが部活動。高校でも剣道部に入部しましたが、春日部高校は関東大会出場常連の強豪校でした。練習は厳しく、部活続きの毎日で休みはほとんどありませんでした。出会いや勉強を考える前に、部活でどうやって生き残るかが、いつもの考えごとでした笑。

毎日練習には必死についていきましたが、結局最後までレギュラーの座を奪えず、、、。悔しさの溢れる高校3年間を過ごしました。また、部活メインの生活で、勉強もおろそかになっていました。結局3年生から勉強しても大学入試は第一志望に合格することは叶わず、結果的に明治大学に進学することになります。

まあ、黒歴史的な高校時代でしたが、何も学ばなかった訳ではなく、部活を通じて身につけた忍耐力は今も脈々と生きています。ちょっとぐらいの壁であれば、部活のことを思えばなんともないと感じるようになったことはこの後の人生にとてもプラスになりました。

大学時代

やっと大学時代に突入しました。大学時代の目標は、好きなことに取り組むことです。高校時代は、部活の忙しさも相まり、なかなか自分のやりたいことができませんでした。その思いをバネに、大学生になってからは、剣道に別れを告げました。

高校時代から私がしたかったことが、海外に行くことです。もともと歴史が大好きだった私は、外に出ることに物凄く憧れを感じていました。高校時代の交換留学は、顧問の先生に話すのが怖く結局できませんでしたが、大学では絶対にすると意気込んでいました。

そんなこんなで、サークルも国際系のサークルに所属することにし、サークル内のブログラムで海外ボランティアに参加することがまず目標でした。しかし、海外に行きたいと言っても、自分は英語が大嫌いでした。大学で最初に受けたTOEICの点数は、なんと400点笑。留学するための要件は、730点以上です。

大学1年生でプログラムに参加するには、なんと3ヶ月で330点もあげる必要がありました。普通なら諦めてしまう場面ですが、諦めの悪い自分は少ない可能性に賭けることに決め、アルバイトも辞めて大学受験のように毎日必死に勉強しました。そしたら、最後の試験で、奇跡的に745点を取ることができました。この時の嬉しさたるや、言葉にできませんでした。

ボランティアでは色々な国が選択肢としてありましたが、行くことを選んだのが、フィリピンです。フィリピンを選んだのは、日本から近く、英語が通じ、物価も安いと言うことで、行きやすいというのが理由でした。この国が、自分の人生を今後大きく変えていくことになることは、この時まだ知りませんでした。

フィリピン ボランティア / 大学1年次

フィリピンは、私にとって初めての海外でした。海外で見るものは、何もかもが新鮮で、心がドキドキしていたことを覚えています。私は、2ヶ月間のボランティアという計画で、現地のNGOにお世話になることになりました。NGOの所在地はTondoという場所で、マニラの最貧困地帯でした。

私がフィリピンに来て一番衝撃を受けたのが、この貧困という問題です。路上で寝る子ども、学校に行けない若者、ものねだりに話しかけてくる人々、全てが始めて心が痛くなりました。自分が今までどんなに恵まれた環境で育ってきたのか、国の違いで世の中の前提は全く異なることを知りました。

この時の自分は何かしよう、何かを残したいと必死でした。毎日色々なことを考え、自分にできることを探していました。

結局何も残せなかったのですが、何もできない自分の無力と悔しさに涙した経験は私の人生を変えました。フィリピンでのボランティアで、自分の気持ちをまとめているブログを実際のその時に書いたので、詳細はこちらも確認ください。

中国留学 / 大学2年次

フィリピンから帰国して間も無く、大学1年次に申請して、実は中国への留学が決まっていました。フィリピンでの気持ちが燃え上がる中、中国へいくことは少し戸惑いも感じましたが、折角の機会なので長期留学で1年間挑戦することにしました。詳細は以下です。

渡航の前日、中学から5年間付き合っていた彼女に振られました。中国に次の日から出国する自分には何もできませんでした。何かを得るためには、何かを捨てなければならないのだろうか。そんなことを強く意識した日でした。でも、伝えてくれたタイミングは有り難く、中国で頑張ろうとすぐ前向きに考えることができるようになりました。

中国は、当初フィリピンと同じぐらいであろうと思っていきましたが、実際は全く違っていました。私が中国で一番感動したのが、テクノロジーの発展です。私が留学した2016年次、すでに中国にはキャッシュがなく、全てがキャッシュレスの世界になっていました。

HUAWEI/XIAOMI/Alibaba/Tencent、当時は日本人もよく知らなかった中国の企業が国内で爆発的に成長をしている時でした。「日本はすぐに越されるだろう。」それが私の直感でした。私は中国での留学経験を通じて、テクノロジーに関わる仕事がしたいと改めて思い、この時の思いが今の仕事へも直接的につながることになります。

フィリピン ユニカセインターン / 大学3年次

中国への留学時、フィリピンへの思いが忘れられない私は、トビタテ留学JAPANという国の奨学金に応募し、再度フィリピンへいくことにしました。前回は何もすることのできなかったため、次は何かを残したいという思いからスタートしました。

自分が人生で一番大きな学びを得たのが、このフィリピンでの時間でした。それまでの自分といえば、自分の事ばかりを考える人間で、自分に自信があるような人間でした。率直に言うと、とってもイタイ奴でした。

そんな頭でっかちの自分が、貧困層の子ども達を採用しているフィリピンのレストランでインターンをする。活躍できるわけがないんです。料理も全然できなかったので、怒られる日々でした。毎日が苦しく、帰りたいと思ってました。ただ、逃げるのだけは嫌だと思って仕事をしていました。

そんな自分に転機が訪れます。それが、社長から貰った高校生レストランのドラマでした。ドラマで人生が変わるなんて変な話かもしれませんが、その当時の私にはとても心に響いたものでした。料理家を目指す高校生の姿が輝かしく、自分自身が恥ずかしくなりました。この時、自分の成長という対価を貰うために頑張ろう。そのように考えるようになりました。

まず私がしたのが、料理を本気で勉強すること。メニューの材料を暗記して、簡単なものからトライしていきました。今でも野菜を早く切れるのが、ちょっとした自慢です。

帰国前はなんと、ドラマで見た村林先生と高校生レストランの生徒と一緒に料理を作りました。この時、私は村林先生の厳しい指導のもと働く高校生に、「こんなに毎日怒られて嫌になることはない?」という質問をしたことを覚えています。

その時、高校生が話くれた言葉が、「料理が好きなので全然大丈夫です」ということでした。「好きなことなら、ここまで価値を生める人になるのか。」と、自分の心に深く刺さった言葉でした。

テスラインターン / 大学3年次後期-4年次前期

フィリピン在住時の経験がきっかけで、「好きなことを仕事にしたい。」これが私の信念になっていました。私はもともと、「テクノロジーを変えて世界を変えたい。」そんなことを中国での留学以降ずっと思っていました。そんなところ、アメリカのEVスタートアップ企業である、テスラでのインターンを友人から紹介してもらいました。話を聞いて、すぐに応募しました。

フィリピンでの経験を評価していただき、なんと合格できました。とても嬉しい瞬間でした。テスラで働く方々は、皆さん若く、優しく、多様性と柔軟性を持った人たちばかりで、大好きになりました。仕事を楽しみながら、お金ももらえたので、本当に素晴らしい経験ができたと思います。

就活 / 大学3年次

大学3年次後期から就活を始めました。テスラでのインターンをこなしつつ、合間を見つけて就活をしていました。私が就活で大切にしていたのが、「商品企画をやりたい。」ということです。もともと、物が大好きだった私は、クリエイティブなものを生み出すことに憧れていました。

このような経験から、部署別採用や入社して企画をやらせてくれる確約のある企業を重点的に探していきました。そんな中見つかったのが、今の企業とソニーの二社ぐらいしかありませんでした。メーカーは、採用後どこに飛ばされるかわからないことが常識ですが、この両社には商品企画という採用枠があり、部署別で合格できれば、その部署で働けることが確約します。本当はソニーで働いてみたかったのですが、そこは落とされてしまったので、最終的に今の会社に進むことになりました笑。

国連ユースボランティア / 大学4年次

就活も終わり、大学も4年次になりました。テスラでのインターンで充実した日々を過ごしていましたが、そんな時に大学から国連ユースボランティアの案内が来ました。

振り返れば、私がこのプログラムに応募したいと思ったのは、大学一年の春。フィリピン現地NGOでのボランティアを通して、国際協力に関心を持ち始めて以来、「いつか国連で働いて見たい。」そんな気持ちを抱いて、過ごしてきました。

大学一年生の頃から、ずっと憧れてきた国連という場所・・だったんです。ですが 、行くか行かまいかはものすごく悩みました。なぜ悩んだのかといえば、自分自身はテクノロジーが好きで、国際協力の道には進まないのではないだろうか?そんなことを思い始めていたからです。

それでも、過去に夢にみた国連で、働くチャンスがある。受かるかわからないけど、とりあえず応募して見ました。テスラの社長に頼んで、推薦書を書いていただき、合格を掴み取ることができました。大学の選考を通過し、周りの応援もあって、結果的に行くことを決断します。決め手となったのは、場所です。「国連」というよりは、「エジプト」に行って見たいという気持ちが大きくありました。自分の知らない世界を見てみたい。その好奇心だけは、相変わらず自分の中にありました。

エジプトは、住むことに関して言えば今までで一番厳しく、日本とは全く違う環境、世界の中で、深刻なホームシックに陥りました。この時、自分の弱さと、自分が如何に周りに支えられている人間なのかを心から実感しました。帰国前には、大切な友達がたくさんできて、素晴らしい半年だったと思います。

仕事内容等は以下記事を確認ください。

国連ユースボランティアから帰国したあと、すぐに卒業し、私の学生時代が幕を閉じました。

社会人時代からブログまで

私は今、大手自動車会社の商品企画部で働いています。新型EVの企画に携わっており、仕事自体はそれなりに楽しみながらやっています。

しかし、社会人になってからは、日々の時間が早く、また自分のために使える時間は圧倒的に少なりました。蓋を開けてみれば私も2年目です。将来を考えた時に、ずっと自分は雇用される立場の人間なのだろうかと考える機会も増え、何かをしようと思い始めました。

もともと海外が好きで、将来は旅行にも沢山行きたいと考えているので、何かできることはないかなと思って始めたのが、このブログです。好きなことを書きながら、作成できるブログはとても始めやすく取り組みやすいです。さらに、自分の書いたものが、残り続けることも決め手でした。

最後に

このブログでは、自分の好きなこと、正直なことを書いてゆく雑記ブログとして始めて行きたいと思います。ブログを通じて、何か役に立つ情報が発信できれば幸いです。

長文、読んでいただき、ありがとうございました。

コメント

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